自分の研究室では、就活を控えた学生が、教授に進路の相談をする機会が、毎年設けられている。幸せなことだ。その場において、今年は、リーダーには何が必要か、が話題に上がっているらしい。そこで、自分もこれから社会に出て行く身として、これについて考えてみた。
世の中には多量の組織が存在し、そこには必ずトップが存在する。その中のうち、何パーセントが『リーダー』と呼べる人なのだろうか。そもそもリーダーとは何か。
まず、リーダーとは、言い換えるなら指導者 (leader)であり、どこかへ誰かを導く者である。ここでは、単なる組織の代表者をリーダーとは言わない。ただ、それだけ聞けば、リーダーは、特に優秀な人でも、偉大な人でも、尊敬に値する人である必要はない。
しかし、リーダーは、往々にして、 優秀で、偉大で、尊敬出来る人であることが多い。
それはなぜか。
そうでなければ、人が、ついてこないからだ。
人を惹きつけ、どこかへ導く人がリーダーであると考えると、リーダーには何が必要なのかが見えてくる。
人によって考えは様々だろうが、自分は、下の二つだと思っている。
1:ビジョン
当たり前だが、どこかへ導くためには、『どこへ導くか』がはっきりしていなければいけない。その夢や理想の高さ、偉大さ、重要さ、輝かしさ、そして明瞭さが、多くの人に共感される時、 初めて、人々の目に止まる事になる。つまり、現代でいうビジョン、古い言葉で言う大義である。
織田信長は、岐阜城(稲葉山城)にて、家臣を前に、天下布武という偉大でありかつ明瞭なビジョンを、共有した。
チェゲバラは、キューバ革命において、元々組織のトップではなかったものの、民族解放と大国に虐げられた人々の独立という強いビジョンを周りと共有することで、リーダーの一人として認められるようになった。
現代社会でも、リーダーと呼べる人々には、人々に理解され共有されるビジョンの発信が、絶対不可欠だ。
2:魅力
導く対象がいなければ、定義の上から、リーダーとなり得ない。また、いくら崇高なビジョンがあっても、個人の力には限界が有り、必ずどこかで集の力が必要となる。
では、人はどうして、何によって集まるのか。それは、金でも報酬でもなく、リーダーの魅力である。たとえ着実に理想に向かって行ってたとしても、組織が継続的に金や報酬を生み出せるとは限らない。そのため、金や報酬で集まった人間は、何かの契機に離れていく。しかし、「このリーダーについて行きたい」「このリーダーの理想の実現を支えたい」「同じ夢を見たい」と考える人は、なかなか離れないだろう。そのためには、リーダーが魅力的な人間でなければならない。
では、リーダーに必要な魅力とは何か。
これは、「人々がどのような人に興味を持つか」に依存する。それは恋と同じで、人それぞれタイプがあるが、大分すると、以下の二つだろうと思う。
2-1:高い能力
多くの人は、自分より能力の低い人間が自分の上に立つと、ある時点で不満が蓄積される。自分と同程度の人間だと、人によってはその人を支えるようになり、また別の人は、のし上がろうと考える。しかし、上の者が、圧倒的に能力が高く、到底自分が追いつける世界にいないと感じたとき、 尊敬の念が生まれることが多い。
その能力の例としては、特定のスキルや、先見の明、人の能力を見抜く目など、様々で、全てが必ず必要というわけではないし、どれが最も重要かは、環境や時勢によっても異なってくるだろう。
この、人間的魅力に繋がる能力は、努力と経験によって養われる。ただ、リーダーと呼ばる歴史上もしくは現代の人物を見ていると、リーダーが持つ能力は、必ず挫折と苦難をいくつも乗り越えて、やっと獲得出来るものである。
NHKのドキュメンタリー番組「プロフェッショナル」や、テレビ東京の「カンブリア宮殿」に出てくる人々がよく口にする言葉の一つに、「人生の岐路に立たされた時には、苦しい方を選べ」がある。その時に得られた、その人だけが持つ"絶対的な力・自信・オーラ"に、人々は惹かれるのではないだろうか。
2-2:人々の精神的支柱
もう一つの魅力は、精神的な支柱となり得るかどうかである。つまり、「この人のために頑張りたい」と思わせる魅力があり、集団の士気をコントロールし得る存在とも言える。
人は、10人集まったとしても、常に一人の10倍の力が発揮できるとは限らない。0倍もあれば、100倍もあり得る。それが何倍になるかは、軍師のようなマネジメントの才能だけではなく、リーダーが如何に組織の精神的支柱となっているかにかかっている。なぜなら、いくら適切なマネジメントであっても、「この人のために」と思われないのであれば、マネジメントに従わない人間も出てくるからである。反対に、精神的に魅力のある人の周りには、言わずとも動く人が集まってくる。
リーダーが如何に精神的支柱となり得るかは、人間味・性格などに依存する。つまり、"能力"よりも、生まれ持った先天的なものである。例えば、感謝の念を表現できるか、集団に属する個人が、何を考え、何にモチベーションを感じるかを捉える事が出来るかなどであり、それらは能力よりもその人の性格・包容力・人間性が鍵を握る。
この魅力があるかないかは、運次第だろう。自分の性格や気質をコントロールしきれる人は珍しいと思う。また、集団がリーダーに期待する性格や気質は集団によって千差万別であり、自分の性格や気質が、その期待にたまたま合致するかどうかである。
ただ、完全に運だけではなく、自分とシンパシーを感じられる人間を集められるか、にもかかってはいるが。
最後に
ここまで、リーダーに必要なものについて考えてきたが、最後に、「そもそも自分はリーダーになりたいのか?」について考えた方がいいと思う。恐らく、リーダーはなりたくてなるものではない。自分に成さねばならないもの(理想とそれを達成するための過程)を見つけた者が、時と場合によってリーダーになるのだと思う。リーダーになりたいというのは、ただの野心家であり、その時点でリーダーの素質にかけている可能性がある気がする。
もしこのブログに、リーダーになりたいと思ってたどり着いたのであれば、もう少し自分の人生と生きる目標について、深く考えてみた方が良いかもしれない。
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