本を読むことの大切さ



当たり前すぎて馬鹿馬鹿しいけれども、本を読むことを非常に大切だ。
わざわざ突然そう思い始めたのも、ここ最近、私自身がこのことを”体感”しているからだ。
自分は、大学で情報科学・通信ネットワークの研究をしているわけだが、最近新しい研究がスタートした & job hunting中ということもあって、自分のこれまでの知見の使い道を探る機会が多い。
自分が持つ知見の使い道を知るためには、他の世界を知っておく必要がある。他の世界を知る上で、webに書かれてる(大抵)うわっつらな情報よりも、やっぱりよく練られたknowledge(見識・知見)が書かれた本はいい。
本を読むと、自分の知見を利用できそうな場面は必ず見つかる。そうすると、感覚的に、自分を中心として世界が広がる気がするのだ。自分の存在価値を正しく認識できるようになると言ってもいい。
昔から「本を読むことは大切」と、誰もが言ってることだけど、まさにそれを体感すると、モチベーションも変わる。その後の行動も変わる。考えも変わる。
最近、知識の吸収がおろそかにされている風潮があるように感じる。しかし、それは重大な過ちだ。たしかにGoogleで検索すれば情報が転がっている。しかし知識を吸収する場は必ず必要だ。なぜなら、人間的なアイディアを生み出すためには、知識が必要だからだ。
もしアイディアが生まれた後に、必要な知識が確定するのであれば、googleに頼るので良い。しかし、実際には、知識があることによって、アイディアが生まれるのだ。そのため、はじめから見識がなければならない。

余談で一言。
日本の研究室では大抵、勉強会や輪講が行われている。目的は、知見を吸収し見識を高めるために、世界の新しい研究を共有し合うことなのだが、恐らく残念ながら、発表者だけが必死になってて、うまく機能せていない場合が多いと思う。
勉強会や輪講がうまく機能するためには、メンバーが、自分の軸を持った上でそれを活かすことを常に念頭に置いて参加することが重要だ。
では、どのようにして、そのような意識を芽生えさせ、維持させるか?
うちのラボにはランチミーティングというものが去年から始まってて、そういうことを語り合える場が用意されている。
他の大学の研究室でも、教育の一環として、また初心を思い出す契機として、我がラボのように、見識を高め、自分を中心とした世界を広げることを意識させる場を設けてみてはどうだろうか。

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