"ウェアラブル"はフィットネスのためのモノ?

先日(2015.1.22 THU)、wiredに『「ウェアラブル」業界は、届けるべきターゲットを見誤っている』という記事が掲載された。いつもは、wiredの新しいアイデアを楽しみに読んでいるのだが、今回のその記事は、ひどく違和感を感じた。
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新しいフィットネス・トラッカーが登場するたびに浮かれている場合ではない。「ウェアラブル」にできることは、こんなものではないはずだ。本当に必要とする人々のことを考えたウェアラブルとは。


内容を簡単にまとめるとこうだ。
  • ウェアラブルは若者相手をターゲットにしている
  • 若者は比較的健康で、フィットネス・トラッカーを使う必要がない
  • 本当に健康管理が必要なのは、高齢者や慢性疾患を抱えている患者たちだ
  • ウェアラブルのカンファレンスで、これを指摘している人がいたが、聴衆の反応は薄かった 
  • 企業家たちは、自分と似た人たちだけをターゲットにするべきではない
というものだ。

ウェアラブルをフィットネスにだけ結びつける謎

一番の疑問は、「なぜこの記者は、ウェアラブルをフィットネスだけに限定して書いているんだろうか」ということだ。

ウェアラブルは決して、フィットネスだけのモノではないと、自分は信じてる。

例えば、Apple WatchがメールやSNSの新着を、バイブレーションで知らせてくれるだけで、すごく便利だ。なぜなら、いちいちスマートフォンをカバンから取り出す必要がなく、とても助かるからだ。それに、カバンの中に入れていると、バイブレーションがなっても気づかなかったりする。

Google glassのような目につけるデバイスを使えば、工場の作業員や車・航空機の整備士などは、手順のミスなどを防ぎつつ、作業をこなすことができるだろう。

あまり聞いたことはないが、耳につけるデバイスだって、これからは出てくるだろう。外の音を拾うためのマイクが付いたイヤホン。耳を密閉せずに、外の音も聞き取りやすいが、音漏れはしにくいようなものとか。対面の人が話した英語をそのまま日本語に変換してくれるとか、群衆の中から自分を呼ぶ声などを聞き分けてくれたり、Google Mapの地図案内をしてくれたり。

自分は今まで、ウェアラブルをフィットネスと結びつけるのは、ウェアラブルの利用における一つの方向性として重要だとは思っていたが、 発想は短絡的に見えて、少し味気なく感じていた。でもこの記者は、ウェアラブル=フィットネスのためのデバイス、と捉えているように思える。(もしかしたら誤解かもしれない。)

この記事への違和感から自分が言いたいのは、この記者への文句ではなく、なぜこの記者が、ウェアラブルをフィットネス用デバイスと書いているのか、という疑問だ。

この記者はウェアラブルカンファレンスにも出席しており、恐らくその道に精通した人だろう。とすると、もしかしたら、ウェアラブル端末の開発者たちの世界自体が、いまだに「ウェアラブル=フィットネス」と考えているのだろうか。万一そうなら、これは非常に面白くない。ウェアラブルで、何がどう変わるのか、ということの発想が乏しすぎる。

ウェアラブルに期待すること

では、お前はウェアラブルに何でそんなに期待してるの?と思われるかもしれない。

上にあげたように、個別のことが便利にはなってくると思うが、自分が気になっているのは、そういった個々の利便性の向上よりも、多くのデバイスが統合的に利用され、人々のICTデバイスやデータの扱い方が変化し、それによって世の中が変貌するかもしれない、というところだ。

まず、ウェアラブルによって、様々なデバイスやサービスが統合的に利用されるようになると期待している。現状のように、ウェアラブルを、ある特定の分野に対して有用だと言って売り込むのは、ウェアラブル全体が流行らない要因になるだろう。なぜ、スマートフォンが爆発的に売れたのか?「電話だけでなくネットが見れます。」「天気が分かります」「地図が見れます」とだけ言っていたのでは売れなかっただろう。あらゆるサービスとの統合的な使い方を示せたから、売れたのだと思う。

スマートフォンのおかげで、どれほど生活の利便性が増したのかは定かではないが、そういったICTの利用の仕方が格好良く思え、受け入れられたのだろう。ウェアラブル端末自体は、何かに特化していても、ウェアラブルという概念自体は、あらゆるものと統合されることを前提としなければならない。

そしてウェアラブルは、ICTの利用形態を、従来のクラウドコンピューティングから、さらに次へと移行させる可能性を秘めている。

今まで、自分のデバイスは、クラウド上のどこかにアクセスし、情報をとって来ていた。トラヒックは、クラウドを中心として、スター型に流れていた。

これが、大きく変わってくると思う。まず、人は複数のウェアラブルデバイスを持つ。そして、それらは、Apple Watchのような多機能ではなく、特定のことだけに特化したものになるはずだ。それらのウェアラブルデバイスは、スマートフォンをハブにして動くことになる。つまり、ウェアラブルデバイスが、シンクライアント端末となり、スマートフォンがサーバーとしての役割を担うようになるだろう。

スマートフォンは、必要に応じて、従来通りクラウドにつながる。従来までの、クラウドを中心としたスター構造から、クラウドを根とした、ツリー構造に変化することになる。

この変化は、個人のICTデバイスの使い方から、クラウドサービス、さらには、通信会社の戦略にまで影響を及ぼしうるはずだ。ユーザーは、何でもかんでもクラウド任せではなく、頻繁に利用するデータは、自分が"持ち歩く"ことになる。またトラヒックは、現在よりももっとユーザーサイドでメッシュに流れるかもしれない。そうすると、通信キャリアやインターネットサービスプロバイダーは、いかにデータセンター間やCDNとのトラヒックを抑えるか、という現在の戦略を変える必要があるかもしれない。もしそうなれば、インターネットのカタチまで変わるかもしれない。

ウェアラブルが当たり前の世界は近いのでは

すでに、ウェアラブルの未来に必要な技術は十分発展してきている。例えば、音声認識や文字の読み上げ、人工知能・機械学習などだ。

音声認識技術は、驚くほど精度が良くなった。自分は、スマートフォンでタイプするのが面倒臭すぎると感じるため、Androidでは頻繁に音声検索を使っている。画面を見ないと字が打てないという時点でイラッとし、ちょっと指がずれるだけで間違った文字が入る。それに気づかずに最後までタイプしてしまい、文字変換のときに気付いて、怒りにも近いストレスを覚えながら、間違ったところまで文字を消す。どこがスマートか。これが、音声検索なら一発だ。当然、利用できる場は考えないといけないが、周りに知らない人がいない時は使える。

文字の機械読み上げ技術も、かなり進歩している。まだ「機械がしゃべってるな」とは分かるものの、何を言っているのかはハッキリ理解できる。もう、ウェアラブルデバイスが普及するためのこれらの技術は、研究のフェーズから実用のフェーズへと移行している。

もし、毎日のニュースを読み上げてくれるイヤホンがあれば、通勤時間が暇でなくなる。スマートフォンを取り出す必要もない。そのイヤホンは、スマートフォンと連動し、簡単な操作は腕時計型のデバイスで行う。煩雑な操作をしたいときだけ、スマートフォンを取り出す。

このように人々のICTの利用の仕方は当然変わる。それに沿って、産業も変わる。結果、世の中が変わる。

ウェアラブルに関する人たち、もっと面白い未来を描いて、教えてくれよ、と言いたい。

蛇足

これは自分の持論だが、スマホを持ち歩くのは、はっきり言ってカッコ悪いと思う。ダサい。それに人間らしくない。大したことがしたいわけでないのなら、あまり目立たない、腕時計型デバイスやイヤホン(もちろんコードレスで、超小型なものがいい)だけで、情報収集を済ませる方が、かっこいいと思う。

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