(映画)アマデウス


本日見た映画は『アマデウス』。非常に素晴らしい映画だった。物語自体も面白いが、絶妙な心理描写を巧みに表現した傑作だ。

上の画像をだけだと、ホラー映画かと思ってしまうが、違う。

この映画は、ある老人の回顧録である。自殺を企てて、とある精神病院に連れてこられたサリエリという老人が、若い神父に対し、自分と"ある若者"の過去について話す、という単純な内容だ。ただし、その老人の過去は、神父にとって言葉を失うほど、深い嫉妬、羨望、怒り、失意、虚無感を含む、形容しがたい物語なのである。

サリエリが語る"ある若者"とは、若くしてこの世を去ったクラシック界の超天才、"モーツァルト"である。モーツァルトは幼少の頃から神童として有名であり、35歳という若さでこの世を去りながらも、900曲以上の曲を作り、そのどれ一つとして駄作はないと言われている。

史実として、サリエリはモーツァルトに嫉妬していた。これはよく知られていることだ。サリエリは神聖ローマ帝国の宮廷楽長として、国内で当時人気を博していた音楽家である。しかし、年下のモーツァルトはヨーロッパ随一の天才であり、能力差は歴然であった。サリエリも、なまじ音楽の能力があっただけに、自分よりモーツァルトが優れていることは誰よりも分かったに違いない。

サリエリはモーツァルトに出会う前、噂に聞くモーツァルトがどんな人物か気になっていた。そしてある時、そのモーツァルトのオーケストラを見る機会があり、胸を躍らせていた。しかし、そこで見たモーツァルトは、お世辞にも素行が良いとは言えない、ガキを体だけ大人にしたような人間だった。

サリエリは欲を捨て無償でレッスンを行うことも多い、敬虔なキリスト教信者だった。それと対照的に、モーツァルトは素行が悪く、金使いも荒いダメ人間。人間としてはサリエリの方が立派である。それにも関わらず、才能はモーツァルトにあった。喝采はモーツァルトに。自分が仕える皇帝の興味もモーツァルトに。自分が愛する女性もモーツァルトに。サリエリは神に、「なぜモーツァルトを選んだのか?」と問う。そして、「なぜ自分にはモーツァルトが天才であることを理解する能力だけを与えたのか」と問う。

人間の出来たサリエリでも、嫉妬はする。しかし、モーツァルトの音楽も愛していた。この複雑な感情をどう処理すれば良いのだろうか。

この絶妙な心理を、この映画は、至る所で、非常にうまく表現している。

モーツァルトの若すぎる死は、当時から様々な陰謀説が囁かれていた。その一つに、サリエリの暗殺、という噂がある。しかしこれは悪質なデマであると言うのが、現在の常識だ。サリエリは、モーツァルトという天才に嫉妬し、それでも彼の音楽を愛し、悩みながらも、しまいにはモーツァルトを殺したと噂までされているのだ。クラシック界の不憫な男No.1は彼かもしれない。

モーツァルトの遺作"レクイエム"(未完)にも黒い噂がある。レクイエムを作曲し始めてから、モーツァルトは衰弱し始めたと言われている。さらに、このレクイエム、依頼主は黒ずくめ(灰色の服とも言われる)の素性の分からない男であり、依頼時に、「レクイエムの依頼については誰にも口外するな」と言った事が史実として残っている。

このレクイエムに関する怪しい出来事も、この映画の中で描かれている。この部分がこの映画のオリジナリティな部分であり、モーツァルトについて知っている人でも十分楽しめる内容となっている。


この映画は、映画として面白いだけでなく、現代人が、クラシック音楽の世界に触れるきっかけ作りとしても、非常によい影響があると思う。

クラシック音楽というと、お堅いイメージがあるかもしれない。小学校の音楽室に飾られた肖像画のせいか、作曲家は皆、厳格な人間、というイメージがあるかもしれない。しかし、偉大な作曲家も我々と同じ人間なのだ。人生がある。人との繋がりがある。歴史がある。性格がある。人間的欠陥がある。

音楽を、その曲と曲名、という"点"だけで捉えるのではなく、作曲家の人生という"連続"した時間の中で捉えながら楽しむと、また違った味わいが出てくるものである。

こういった音楽の味わい方の入門としても、この映画は非常に良い作品である。

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