研究所における技術とは

 

技術とは何かを即答出来る人は少ない

企業研究所では、『技術』という言葉を、一日一回以上は耳にする。それにも関わらず、研究所の中では、技術をどう生み出すか、どう売るかに対して、 疎い人が多いようだ。自分も含めて。

例えば、研究所内では、以下のようなやりとりが頻発している。

(一般社員が部長にデモを紹介し終わった場面)

部長: 「なるほど、よく分かりました。確かに面白いけど、技術はどこにあるの?」

リーダー: 「え~とですね、ここがこうなるところが、我々独自の技術です。」

部長: 「…。そうなの?」

リーダー: 「まぁ…、そうですね、どこもやってないので…。」

一同: 「(それだけで技術って言い切っていいのかな…?)」


このような事態が起きる理由は、二つある。

一つ目は、技術という言葉を定義していないことだ。技術という単語は辞書に定義が載っているが、それは今日の使われ方とは乖離している。また、人によって、ニュアンスが異なる。そのため、技術という言葉は、非常に曖昧なのだ。しかし、技術の定義が出来ていなければ、「このデモのどこに技術があるのか?」という問いには答えられない。

二つ目は、研究所内に、部長が期待するような技術を生む体制が整っていないことだ。例えば、予算や昇級のシステムは、「どれほど儲けられそうか」「いかに儲けたか」を基準にしている。儲けるためには、関連する事業部等にヒアリングし、彼らが欲するものを作るのが効率的だ。なぜなら、研究所の予算は、基本的に事業部から出資されるためである。しかしこれが行き過ぎると、研究所は事業部のコンサルか外注のような存在になる。

研究者が儲けようとすると、幅広い案件に手を出そうとし始める。そして次第に、研究者は自身が持つコアナレッジから外れた案件でも手を出し始める。そして、研究所は案件ごとに場当たり的に仕事をする羽目になる。

このような風土と体制では、企業の研究所から、『技術』は生まれない。技術の定義を持たない人によって場当たり的に作られた成果は、技術とは言えないはずだ。

技術の定義

自分なりに、企業研究所における『技術』の定義を考えてみた。結論から言うと、自分の中での技術の定義はこうだ。

一つ以上の専門領域における深い知識や技能を習熟した者が、従来不可能であったことを可能にする上で生じる特定の課題に対して、習熟した事柄を用いて得られた発見を伴う解決策
かなり長い一文だが、ポイントは以下の点にある。
  •  深い知識や技能を習熟した者
  •  従来不可能であったことを可能
  •  発見を伴う
  •  解決策
最後の"解決策"は、単に、モノに限定はせず、プロセスやノウハウも技術に含まれることを強調するために付けた。

その他のポイントについては、辞書に書かれた技術の説明とその違和感を含めて説明する。

デジタル大辞泉には、以下のように書かれている。
物事を取り扱ったり処理したりする際の方法や手段。また、それを行うわざ。「技術を磨く」「高度な表現技術」
科学の研究成果を生かして人間生活に役立たせる方法。「先端技術の導入」「産業界における技術革命」
1には強い違和感がある。もし1の定義を技術と言うのであれば、身の回りのモノ・事柄は、全て技術である。本をめくるという行為は、技術か?水を飲むと言う行為は技術か?

深い知識や技能を習熟した者


"技術"に対して我々が持つニュアンスと1との相違の一つは、"困難さ"の有無である。技術と言われると、我々は、何かしら高度な、一部の人しか出来ない方法や手段、技を想像するのだ。

では、困難さの基準は何だろうか?

例を挙げて考えてみる。私は今、去年発売された非常に使いやすいVaio Zでブログを書いている。Vaio Zを作るのは困難だろうか?そうだと思う。では、今、特になんの変哲もない木の机にPCを置いてタイプしているが、この机を作るのは困難だろうか?若干怪しい。ただ、この机は、10年以上使っているのに、特に軋みもせず、頑丈だ。そのような机を作るのは困難だ。

Vaio Zを作るためには、計算機科学、電子回路、半導体、オーディオ、照明、材料工学、ソフトウェア科学などの知識が必要だ。私にはそれらは備わっていない。しかし、机なら作れそうだ。木が必要であること、のこぎりの使い方、どう組み立てたら机の形になるかは想像付く。しかし、頑丈な机の作り方は、木の材質や負荷のかかり方などの知識がないので分からない。

そこで、私は、困難さの基準の一つとして、『一つ以上の専門領域における深い知識や技能を習熟した者』しか出来ないものだと考える。

従来不可能であったことを可能


では、専門領域の深い知見さえ使えば、それは技術なのだろうか。例えば、ある電機メーカーの研究者が新しいPCとして、巷にあるPCと同じようなものを企画した場合、このPCに技術があると言えるだろうか?恐らく上司は、「どこが技術なのか?」と言うだろう。

PCを作ることは困難なので、PCを作るだけで技術かもしれない。しかし、多くの場合、技術という言葉には、"新しい"というニュアンスも含まれる。特に、企業の中で製品やサービスを検討したり、消費者がモノを購入する際には、このニュアンスを含む場合が多い。そのため、従来通りのPCを作ることは、技術力があるとか、技術を生んだとは言えない。

ただし、「少しでも新しい部分があれば技術と言えるのか」というと、それも違う。『スマホのバッテリー、従来比1%向上』と言われても、技術は感じないだろう。しかし、もし『スマホのバッテリー、従来比300%向上』と言われたら、技術を感じるかもしれない。

私は、技術と言えるかどうかの新しさの基準は、不可能を可能にしたかどうかにあると思う。もしスマホのバッテリーが3倍に増えたら、旅行にケーブルを持って行く必要がなくなる。スマホをモバイルバッテリーとして使えるようになる。より高負荷で高クオリティのゲームがリリースされるかもしれない。このように、不可能を可能にし、新しい価値を生み出せる場合にのみ、技術を作ったと宣言出来るだろう。

発見を伴う


研究者でなければ、前述の2点だけでも、十分な技術と言える。例えばエンジニアの場合、得意とする分野の知識を深く学習し、応用する技能を身につけ、実問題に迅速かつ的確に適用することが出来ると、技術力がある、と言われる。

しかし、企業研究所の場合は、これだけでは不十分である。企業研究所の場合、価値のある新たな発見を踏まえた課題解決でなければならない。なぜなら、そもそも研究とは物事の本質を学問的に明らかにする事であり、そこには発見が含まれるためである。発見を必要としない課題解決であれば、研究所は事業部と変わらなくなる。むしろ、特定の分野の知見を応用する力に長けたエンジニアが多く、顧客とも密に接している事業部の方が、効率的に仕事をこなすに違いない。

新しい発見を伴う課題解決について、例を用いて説明する。

例えば、売り手に商品の相場を教えるフリマアプリを作ったとする。相場は、今フリマアプリ上で売られている同種の品の値段やネット上の情報などから引っ張ってくるものとする。これは研究者にとって、技術と言えるだろうか。

プログラミングやリアルタイム通信、サーバー管理、保守管理、テスト、ビジネスモデルなどの深い知識が必要だ。さらに、商品のプライシングが簡単化することで、フリマの出品における不安と困難さを解消できるかもしれない。

しかし、これは研究所における技術には相当しないだろう。なぜなら、既存のプログラミング言語やAPIを用いて、正しく設計すれば、その通りに目的を達成できるものであり、新しい発見を伴わないためである。これは事業部の人の方が強い仕事だと思われる。研究所の人間よりも、短時間に間違いのない高品質な製品を作ることが出来るだろう。

ではもし、時間や地理ごとに、フリマをネットで行う人の性別、年齢層、購入意欲、行動心理、求める品の傾向を独自に調べ、それごとに最適なプライシングをリアルタイムで行うアルゴリズムを検討し、有効な指標で評価してみたらどうだろうか?そこには新しい発見があり、課題解決に貢献する気がする。これであれば、研究所においても技術と言えるかもしれない。

企業研究所の場合は、そもそもどのような方法がベストかが分からないところから始まり、研究者が持つ深い知見を基に当たりをつけ、実証することで、不可能を可能にする必要がある。これこそが企業研究所を企業研究所たらしめる、最も重要なポイントである。

多くの企業研究者は、このポイントを忘れかけているように思える。それは前述したとおり、企業の体制が、新しい発見を生みにくくしているためだろう。

研究をするためには予算が必要であるが、予算を取るためには、いかに儲けられそうかを説明しなければならない。事業部は、確実に自分たちの利益になるプロジェクトにしか投資をしない。そのため、研究所は、既存の知見の組み合わせによる確実に成功するものしか語れなくなるのだ。

さらに問題なのは、技術を深める余裕がなくなっていることだ。研究所では、引き受ける案件が増えるほど予算が増えるため、隙あらば予算枠に手を挙げる。それ自体はどうしても仕方ないかもしれないが、多様な事業部の要求に応えるために、専門分野の知見を深める時間的余裕はなくなる。そして、新しい発見を求める余裕などはほとんど皆無なのが現状である。

自分の会社では近年、「儲かる技術を作りましょう」と躍起になっており、これが確実に、研究所を事業部の請負化を助長させ、技術が生まれにくい風土を築き上げている。このままでは、ビジネスモデルの検討には強くなるが、技術を深める術は廃れていく気がする。最近のIoTの流行を見る限り、他社も同じような課題に直面している気がする。本当に他社も技術を作れているだろうか。ソリューションという名の下に、ありものの組み合わせでしかないサービスしか生まれていないのではないだろうか。そこに技術はあるのだろうか。

終わりに


本記事では、自分の浅い考えの下、『技術』という頻繁に使いながらも不明確な言葉を解釈してみようと試みた。他の定義を持つ人の意見も是非拝聴してみたい。働いていく中で、ここに書いた定義は次第に変わっていくかもしれない。ただし、いつ何時も、自分なりの技術の定義は常に念頭に入れておきたい。そうしないと、行動目的を見失って、頭に書いた不毛な問答を繰り返す羽目になる気がする。

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